世界で最初の先物市場

世界で最初の先物市場は、江戸時代の大坂の米市場だというのは、経済史の世界では共通認識のようだ。
なんで当時鎖国して引きこもっていた日本の大坂で、そんなに先進的な市場がやっていたのかってのが、不思議でならなかった。
最近為替の勉強をしていて解ったことだが、現金や現物は、今この時点の価値であるのに対し、為替や先物は、未来のある時点での価値になる。

今、既に存在しているものが現物(現金)だから、基本的に現物は今が一番価値があって、時間とともに、つまり今が過去へと時間軸が移っていくにつれ、価値が減少する。
先物(為替)は未だ実体化していないものだから、価値は常に変動していて、現物化(現金化)するまで価値は決まらない。
現ナマには利子がなくて、預金には利子がつくのはそういうことだろう。

価値が決まらないなんていう、不明確でわけわからんものがなぜ必要になるのかというと、時間軸を広くとった場合の需給バランスを取るためにそういうシステムが出来たのだろう。
今、この時点でコメがいくら必要なのかってのを取引するのが、現物市場。
来年の秋にコメがいくら必要なのかを、先物で予め需要枠を示しておくことで、生産する側は来年はなんぼ作ればいいのかを計画出来る。
今年たくさんコメが売れたからといって、ヤッターと思って調子こいて次の年もたくさん作ったら、全然需要がなくて在庫を山のように抱えて、種モミや肥料や労働者の賃金を払えなくて破産しました。
なんていうリスクを低減するために、先物市場ってのは出来たのだろうと思う。

先物市場が必要になるのは、流通の規模が拡大して、多国間貿易で適地生産する規模になってきた場合なのだろう。
自分の国内で、コメも野菜も衣料も鉄器も、必要なものは全部作っているという場合は、在庫リスクはそんなに高まらないから、わざわざ先物なんていう複雑なシステムを作る必要はないはず。
だがこれが、A国ではコメだけ作っていて、B国では綿花だけ作っていて、C国では鉄だけ掘ってるという適地分業になった場合は、自国内では消費しきれない生産物を抱えている。
かつ必要な物を他国から輸入しないといけないから、各々の国が先々、何をどれくらい必要なのかというのを、先物で示しておかないと、生産計画が立てられない。

江戸時代の大坂にコメ先物市場があったということは、まず間違いなく、当時の日本は貿易立国で、コメの輸出を主力産業としていたのだろう。
で、輸出先は中国と朝鮮。貿易するのは中国の陶器と綿花。朝鮮の鉄器と絹。
つまり当時の日本はまったく貿易封鎖なんかしていない。
鎖国というのは、地方の大名が自由に貿易するのは禁止という意味で、日本が貿易しないという意味ではなかったのだろう。
また、明治以前の日本は前時代的な閉鎖的な国だったというイメージを作るために、鎖国という言葉を曲解するような教育になっているとも言える。

日本の農業がやけに生産がコメに傾いていてバランスが悪いのは、何百年も前から、東アジアにおいて日本はコメを作って大陸に輸出するという役割を担っていたからなんだろう。
中国や朝鮮の土壌はアルカリが強くて、穀物の生産に適さないところが多い。アルカリ性の土地は、一度植生が途切れると復活しなくてハゲ山になるのがほとんどだそうだ。

熱帯に近くなると、こんどは土の酸性が強すぎて、それはそれで農業が難しい。
熱帯で焼畑農業するのは、灰のアルカリで土の酸を中和して土壌改良しているということ。

日本の山林は一度伐採したり山火事になってもすぐ復活するが、大陸の山はハゲ山になってしまう。
大陸の北の方は、水の出が悪いのを人工的な灌漑で補ってきたが、灌漑農業を長く続けると、土に塩が上がってきて植物が育たなくなる。

そういうダメになった古い土地は、日を遮る植物がなく、アルカリと塩で白銀に輝いているそうだ。
海外協力隊なんかで農業支援に行ったひとは、白い地獄だと呻いたとか。

きれいな水が豊富にあって、土のphも程よい日本は、世界有数のコメ穀倉地帯のはずだが、戦後それを徹底して破壊してきたのには、当然ながらアメリカの明確な意図があるのだろう。

江戸時代に米を輸出していたという仮説には疑問があります。
米の先物取引が行われた背景には、米が事実上の通貨の役目を果たしていたことと、今以上に天候に生産量が左右されたという点にあるのでは。

武士階級は年に1回だか2回だかの決まった時期に俸禄が米で渡されたと言います。
この米を米問屋で換金するわけですが、同じ時期に大量の米が流通するため、相場は下がり安い価格で商人に買い叩かれたそうです。

アメリカの穀物メジャーの戦略は、戦後食糧不足の日本に米を与えずパンを配給し、小麦の将来的な消費量を増やさせたことでしょうね。
主食になる穀物を押さえるのは穀物メジャーの常套手段ですね。

江戸期の地方の武士は完全にコメでの支払いですね。
それは即ち、国内経済での流通分で考えれば、日常の物流で貨幣はほとんど必要なかったということなのだと思います。
物品や労働力の売買に貨幣が必要だったのは、おそらく江戸や大坂のような特別な地域だけで、地方の藩内ではほとんどコメをダイレクトに使っていて、コメを貨幣に換金する必要はほとんど無かったのではと思われます。
藩の領内から外に出るには、特別な許可が要る時代でしたから、他地域との価値交換を行なうための貨幣や為替は、ごく一部の特定のものにしか必要なかったのではと思われます。
そんな時代なのに、両替商が大いに奮ったりしていたというのは、海外との貿易が存在して、日中朝の間でExchangeが必要だったんじゃないかなという気がします。
明治になって、一気に貨幣ベースになって、税も金納になったのは、欧米との貿易が拡大して、貨幣をたくさん増やさないと交易できなかったからなのでは? と思えますね。
当時のイギリスがわざわざ地球を半周した日本のコメを欲しいとは言わないでしょうから、貨幣というか、欧米基準のマネーでよこせと言うはずなので。